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『実語教』の素読用読み下し文です [実語教]

平安時代の終わりにできて、以後明治の初めまで使われていたという『実語教』の素読用読み下し文です。

 [本]

山高きが故に貴からず。樹有るを以て貴しとす。
人肥えたるが故に貴からず。
智有るを以て貴しとす。
富は是一生の財(たから)、身滅すれば即ち共に滅す。
智は是万代の財、命終われば即ち随って行く。
玉磨かざれば光無し。光無きを石瓦とす。
人学ばざれば智無し。智無きを愚人とす。
倉の内の財は朽つること有り。
身の内の才は朽つること無し。
千両の金(こがね)を積むといえども、一日の学にはしかず。

兄弟常に合わず。慈悲を兄弟とす。
財物(ざいもつ)永く存せず。才知を財物とす。
四大(しだい)日々に衰え、心神(しんじん)夜々(やや)に暗し。
幼時(いとけなきとき)勤学せざれば、老いて後恨み悔ゆといえども、
尚所益有ること無し。
かるが故に書を読んで倦むことなかれ。
学文(がくもん)に怠る時なかれ。
眠りを除いて通夜(つうや)に誦(じゅ)せよ。
飢えを忍んで終日(ひめもす)習え。

師に会うといえども学ばざれば、
徒(いたずら)に市人(いちびと)に向かうが如(ごと)し。
習い読むといえども復せざれば、
只隣の財(たから)を計(かぞ)うるが如し。
君子は智者を愛し、小人は福人(ふくじん)を愛す。
富貴の家に入(い)るといえども、財無き人の為には、
なお霜の下の花の如し。
貧賤の門(かど)を出ずるといえども、智ある人の為には、
あたかも泥中の蓮(はちす)の如し。

父母は天地の如く、師君は日月(じつげつ)の如し。
親族はたとえば葦(あし)の如し。夫妻(ふさい)はなお瓦の如し。
父母には朝夕(ちょうせき)孝せよ。師君には昼夜に仕えよ。
友と交わりて争う事なかれ。
己より兄には礼敬を尽くし、

己(おのれ)より弟には愛顧を致せ。
人として知恵無き者は、木石(ぼくせき)に異ならず。
人として孝無き者は、畜生に異ならず。
三学の友に交わらずんば、なんぞ七覚(しちがく)の林に遊ばん。
四等(しとう)の船に乗らずんば、誰か(たれか)八苦(はっく)の海を渡らん。
八正道は広しといえども、十悪の人は往かず。
無為の都は楽しむといえども、放逸の輩(ともがら)は遊ばず。
老いたるを敬うは、父母の如し。
幼(いとけなき)を愛するは子弟の如し。
我他人を敬えば、他人また我を敬う。
己(おのれ)人の親を敬えば、人また己が親を敬う。
己が身を達せんと欲する者は、
先ず他人を達せしめよ。
他人の愁(うれ)いを見ては、即ち自ら共に患(うれ)うべし。
他人の喜びを聞いては、即ち自ら共に悦ぶべし。

善を見ては速やかに行え。
悪を見てはたちまち避けよ。
善を修する者は福を蒙(こうむ)る。
たとえば響きの音に応ずるが如し。
悪を好む者は禍(わざわい)を招く。
あたかも身に影の随うが如し。
富むといえども貧しきを忘るる事なかれ。
貴しといえども賤(いや)しきを忘るることなかれ。
あるいは始めは富みて終わり貧しく。
あるいは先に貴くして後(のち)に賤し。
それ習い難く忘れ易きは、音声(おんじょう)の浮才(ふさい)。
また学び易く忘れ難きは、書筆の博芸。

ただし食有れば法在り。また身在れば命有り。
なお農業を忘れず。必ず学文(がくもん)を廃することなかれ。
かるが故に末代の学者、先ずこの書を案ずべし。
これ学問の始め、身終わるまで忘失することなかれ。

[本]

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